マイナスの感情とその行き着く先
普段滅多に書かないことを書きます。
柄にも無いことなので、ちょっと躊躇していましたけど自分のスタンスを自分で再確認する意味も含めて書いてみることにしました。

愚痴、というのは誰でもよくこぼすものだと思います。友人とか家族とかに。
で、愚痴っていうのは基本的に『吐き出してスッキリする』だけのものなんですね。
そこに建設的なものは何も無いし、そこから新しい何かが生まれるわけでもない。

だからこそ愚痴っていうのは、身内の中でこっそりと相手を選んでこぼすもの、だと思います。
誰が見るかもしれないBlog上に堂々と記事として載せる、というのは『吐き出してスッキリ』な爽快感は身内にこぼす以上のものがあると思いますけど、それは受けた側のことを全く考えない身勝手な行為に他ならないわけです。

基本的に愚痴をこぼされて嬉しく思う人っていないんじゃないかと思います。
でも、それが近しい人の愚痴なら『聞いてあげよう、それで相手が楽になるなら』という気持ちを持って接することができるわけです。
愚痴をこぼす方もそれを期待しているわけですし、ある意味甘えたり、甘えられたりという依存関係?みたいなものですよね。
それができるのはそれが許されるだけの間柄…。やっぱり近しい間柄だけに限られるんじゃないかと思います。
普通知らない人にいきなり甘えるとか、大人ならありえませんよね。(笑)

だからこそ私は愚痴っぽいことはBlog上では極力書かないようにしています。
愚痴というマイナスの感情は、とてもとても非生産的なわけですからね。
(まぁそれでも時々少しだけグチグチしてたりしますけどね。(ノ∀`;))

愚痴をこぼされて『それだけは聞きたくなかった』っていう人も、もしかしたら身内にいるかもしれないと思いますし、そういう影響があるだろうなぁ、というところまで考えれば、なんでもかんでもBlog上で愚痴ってしまえばいいや、っていう態度は余り褒められたものではありませんよね。
それこそ無差別に周囲に最大限に甘えているのと同等な行為と言えるわけですから。

愚痴は相手を選んで、聞いてくれた相手がどう思うかまでを考えた上で、計画的にこぼしましょう。っていうのが個人的な意見であり、スタンスです。
無計画に無制限に愚痴をこぼせば、家族間ですらケンカになったりするわけですし。
ましてや他人同士では…ですよね。


最近の日本人に欠けているもの、として『思いやりの心』を挙げている方が多いと聞きます。
愚痴をこぼすときにも、相手に対しての思いやりって大事ですよね。


Blog上で盛大に愚痴をこぼして、『スッキリしているんだからほっといてよ』っていう態度を取っていらっしゃる、とあるブロガーさんにお尋ねしてみたいです。





『あなたの心にある「思いやり」はどっちを向いているのですか?』

『"毒"という名目で無差別に愚痴をこぼす行為を恥ずかしいとは思いませんか?』






"イイタイコト"を言うのは、それはそれで大切なことですけど、相手と場所と状況を考えて発言するのが、良識ある大人じゃないかなぁ、と。
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by faylin | 2006-12-09 17:59 | 日記
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